水道歴史館に行ったときに、ついでに図書室で和田堀給水所関係の資料も見てきました。といっても、資料などほとんどありません。工事報告の小冊子が奇跡的にあって、それを見せてもらいました。
疑い §
元々持っていた疑いは以下の通り。
- 西の貯水タンクは高い土地にあるのに、東の貯水タンクは半地下式で低い。東に凹地がもともとあったのではないか
- このあたりに水源地が1つあったはずである。凹地が水源地なら解釈が整合する
- しかし、このあたりは人工地形で過去の状況は良く分からない
結論 §
実は、当初の計画では2つとも貯水タンクは高い土地に作る予定で、途中から耐震性などを配慮して1つを低い方式に切り替えて工事したことが分かりました。つまり、東の貯水タンク当たりが凹地とも言えなくなります。
詳細は依然として分かりませんし、水源の存在もほぼ確実ですが、貯水タンクの高低差から地形を推測する方法は否定されたと思って良さそうです。